ボイラーのチラシ裏

テクノロジーやフィギュア、ゲームに関すること

日本のコンテンツを喰い物にするOpenAIと日本のコンテンツ産業の取るべき施策について

こんばんは。

今日はニュースでやっていたOpenAIのSora2の脅威について述べたいと思います。

Sora2って何?

Sora2 とはOpenAI社がリリースした新しい動画生成AIのモデルです。

ニュースでは「スタジオジブリ風のアニメーション」が生成された結果を放送していました。

そのアニメ映像が結構ジブリの画に似ていて、さらなる学習によっては「スタジオジブリの最新作」と銘打って発表されたアニメが実はOpenAIによる動画生成AIの生成結果だった。。。という未来も有り得てきます。

問題提起

このSora2 が発表されたことにより、大きな問題が判明しました。

スタジオジブリ風のアニメーション」とプロンプト(指示文)を入力することにより、「スタジオジブリ風のアニメーション」動画が出力されるわけです。

少なくとも、OpenAIがモデル学習の教師データとして、スタジオジブリの作品を使用していることが伺えます。

そして、X.comにTLで流れていましたが、他にも「孫悟空が株式チャートを眺めている」みたいな動画も流れていて、どうやら日本のアニメすべてを学習していると疑っても間違っていないような気がします。

つまり、日本のコンテンツがOpenAIに喰い物にされている、と言えます。

近い将来(~3年後)

これにより何が起きるかというと、例えば、SNSなどに大量のAIによる生成動画が並べられる可能性がありえ、TLは混乱します。まあ、これは2次元画像生成で既に起こっていることの繰り返しのようなものです。

次に、OpenAIによるアニメスタジオが誕生します。この予測は精度が低いかもしれません。もしOpenAIのサム・アルトマンCEOが日本のアニメに熱心に執着するような性格であれば、AI生成がメインのアニメスタジオが興ってもおかしくありません。これは、Xのオーナーである、イーロン・マスクアバターの「Ani」をGrok AIに展開したことからも推測の材料となります。もしかしたら、外国人は思いの外、日本のアニメに執着しているのかもしれません。

そして、OpenAIに対してオプトアウトを申請する日本のコンテンツ産業に属する企業が現れる可能性です。Sora2に関して言えば、コンテンツ産業の企業はその企業が創作した作品に対するオプトアウトをOpenAIに申請することができるそうです。しかし、よく考えてみて欲しいのですが、既に出来上がった生成AIモデルに対してオプトアウトってどう適用するんでしょうね。既存のモデルは学習したモデルにさらに教師データを放り込むことで学習を強化していきます。つまり、前提の状態があるわけです。一度学習されたデータは前提となり、その後の学習に影響を与えるわけです。なので、一度学習されたデータをモデルから取り除くのは非常に難しいと思うのですがどうなんでしょう。

参考: claude.ai

日本のコンテンツ産業はどうアクションをとるのか?

正直訴訟も辞さないと予測していますが、OpenAIは結構大きな企業に成長しているので、それなりに法務に強い企業(例えば、任天堂)でないと訴訟に勝つのは厳しいのではと言う気がします。

私が日本のコンテンツ産業にオススメするのは、集団訴訟という選択肢です。

これは過去にどこかで私が言ったことがあったような気がするものなのですが、2次元画像生成AIの登場の頃に、非常に多くのイラストレーターが被害を被ったことは皆さんご存知かと思います。私はこの時に「被害にあったイラストレーターは徒党を組んで訴訟をするべき」と言った覚えがあります。

今、おすすめしているのはまさにそれで、日本のコンテンツ産業全体で危機意識をもってOpenAIに立ち向かわないと、永久的に喰われる可能性だってあります。

ちなみに、AIによる仕事が奪われる業種というリストが結構ネットには溢れていまして、あまりこのリストは信用ならない部分もあったりするのですが、

クリエイターという仕事はSNSを見てわかるように危ないと認識されている方は多いのではないでしょうか?

「いや、今はまだ大丈夫だよ」とおっしゃる方も、技術革新は積み重ねられることに気づいていないのではと常日頃思うのです。

もし新しいモデルが人間の創作物と遜色ないレベルのものを(バレないように時間をあけて)リリースし始めたら、人間は区別がつけられないかもしれません。

AIによってクリエイターの仕事が奪われて、何が得られるかというとそれは時間です。

対して、仕事が奪われて、何が失われるかというとお賃金と「創作する楽しみ」です。

既に2次元画像生成AIの登場により、私は多くのクリエイターが「創作する楽しみ」を見失ってしまった気がしています。

いかに、生成AIの普及にメスをいれるのか、それとも見守るだけなのか。

そのあたり、日本のコンテンツ産業はそろそろはっきり方針を決めたほうがよろしいのでは?